獣医さんのコラム(番外編7)獣医学生が青森キャンパスへ、情報難民のまま引越しした件について

もくじ

1. ごあいさつ

2.獣医学生が青森キャンパスへ、情報難民のまま引越しした件について

3. 最後に

ごあいさつ

こんにちは。

オンラインどうぶつ病院Talkvets獣医師の前田です。

本日は箸休め的番外編をおおくりしたいと思います。

前回までは、大学1年生の相模原(神奈川)キャンパスでのお話でしたが、

私がいた北里大学は2年生から獣医学部全員で青森のキャンパスに移動するという大学でした。

大阪生まれ大阪育ちで大学進学で初めて関東に住んだ身としては、20年前の何の情報も手に入らない青森県に移動するのは、情報がなさすぎて一体どんなとこ!?という一大事件でした。(青森在住の方からしたら💢かもですが、当時はそんな心境でした汗、今はいい思い出です)

今回は、そんなお話をしてみたいと思います。

獣医学生が青森キャンパスへ、情報難民のまま引越しした件について

20年前の当時、スマホもなく、SNSも発達しておらず…

あるのは先輩たちから伝え聞いた話だけという状態でした。

関西生まれの10代の学生にとっては、関東を挟んでさらに北の東北は、地理で習ったよね?というレベルの知識しかない状態でした…(青森の方は重ね重ねすいません…)

どれくらいの情報を持っていたのかというと、

コンビニはかろうじてある。(大学前にサークルKがありました。セブンイレブンは当時まだ青森にはなかったです)

電車はあるけど、車がないと新幹線の駅からキャンパスまで移動が大変。(のちに電車も廃線になった…短い路線だったのに当時でも500~600円と電車賃がやたらと高かった)

バイト先はあるけど、時給600円ぐらい。(これは本当だった…相模原時代時給の半分…)

みんな大学の周辺のアパート群に住んでいる。(本当にそうでした…むら社会で近所になぜか孔雀がいた汗)

冬は道が凍る。(はじめは滑ってうまく歩けなかった…)

ぐらいでした。

他のことは全くわからないまま家を探し、引越しした記憶があります。

今考えると、よくこれだけしか知らずに引越したなと思いますが、当時のことを思い出すと、今が情報に溢れているので逆に情報難民だと余計に不安になるのかなとも思います。

若さと引越しせざるを得ない状況とか、周りが同じ条件の学生だったというのもあったと思いますが、なんやかんや住むと都というのは本当でした。

あとは、そのとき関西や関東から出て生活した経験があるので、今、どこか知らないところに住めと言われても、どこでも大体住めるマインドが持てたのが本当によかったなと今は思っています。

最後に

ちなみに、1番心配していたことが、

使い捨てのコンタクトレンズが買える場所があるのか…ということでした笑

当時は、通販とかではコンタクトが買えなかったんですよね笑

今思い出すと、世の中便利になりましたよね。。

それではまた次回のコラムで!

執筆者

2010年 北里大学獣医学部卒業

大阪、東北の動物病院を経て、

2015年~2016年 北里大学附属小動物医療センター研修医

2016年~2024年 大阪市内の動物病院の開業業務にたずさわり、院長として勤務

2024年 オンラインどうぶつ病院Talkvets立ち上げ

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